2009年1月 Archive





ひと括りにしてすまないとは思うけれど、
ぼくは主婦がドーナツ屋さんでドーナツを注意深く吟味している姿が好きではない。
スーパーマーケットで、シンボリックな長ネギを携えて、じゃがいもを点検している主婦の様は好きなのだけれど。 何故だろう。ドーナツを選ぶ姿があるいはぼくにある種の無為を思わせるからかもしれない。 若い奥様たちが、「いいとも」を流しながら、ずるずるお茶を啜る光景を想像してしまうからかもしれない。 よくわからない。そういうのは偏見なんでしょうね。


昨日、ピアノの前で譜面をかりかり書いていて、消しゴムでいくつかの音符を消した直後のことだった。 「あ、この箇所消しちゃまずかったかな」と思った途端、左手の小指がCtrlを、中指がZのキーを探して宙を泳いだ。 がーん。 (WindowsOSのソフト全般において、「一つ前の工程に戻す」ためのショートカットキーが、Ctrl+Zなのです。)

良きにせよ悪しきにせよ、「やりなおす、には⇒左手を斜め前方に配置して小指と中指を運用する」というふうに脳みそが訓育されているということだ。自律的身体からの解放である。がーん。
そこには、自律的な意思決定はない。脳から身体へのトップダウン的指令が、中枢神経をすっとばして、直接指先に伝達されているのである。 それはたとえば、熱いものを触ったときに、とっさに耳に手を当ててしまうことと同じであるし、まさしく「非中枢的な身体」と言える。

―運動だけがあって反省のない身体、刺激の意味について省察する中枢を関与させないで反応する身体(・・・)「非中枢的な身体」とは決して速く動く身体のことではない。それは知覚情報を統括し統一的な指示を全身に発令するべき中枢を欠いた、「寸断された身体」「アナーキーな身体」である(内田樹著@私の身体は頭がいい)

こういうのを職業病とも言えるけれど、この徴候は重要であるように思う。脳から中枢神経(あるいは心)を中継してキーボードを叩く一連の動作の、「心」の部分を通過せずに、身体を応答させるという身体運用はスポーツの訓練においても当然取り入れられているし、楽器演奏においても、緊要な能力である。「とっさの判断」というのは、「めちゃ速い動き」ではなくて、「意志を介在させない動き」なのだろう。 これが、本当の意味での"ショートカット"かもしれない。
それにしても、「時間軸を遡って戻す」という動作が、違和感なく身体化されているというのは、よくよく考えるとまったくスゴイことだと思いませんか?

そう思うとブラインドタッチもすごいよな。頭に「こんにちは」というセンテンスが浮かぶ、たぶん口の筋肉もそれに伴って「こんにちは」と発語する準備をする、右手がKとOを探している間に、左手はWとAの上に置かれる。この同期作業は、母語を(あるいは、熟達した言語を)話す言語活動とほとんど変わらないんじゃないか?

つたない外国語を使おうとしたときに、頭のなかに"こんにちは"と浮かべてから、"Bonjour"と発音することがあるけれど、これは「こ、こ、こん、にち、・・・は」という感じでパソコンの画面を凝視しながら、人差し指だけでキーを叩いているオジサンの心身構造と似ている。 習熟した外国語話者が、ひととぶつかったとき、とっさに「Sorry」と口からでるのは、頭のなかの翻訳活動が省かれているからである。外国語に慣熟するには、言葉を理解するまえに発音するための心身的ストラクチャーをうまく起動させること(ようするに、はえーってことだけど)に他ならない。

文字をペンで書くための指令を出す脳内部位と、言語活動を処理する脳内部位とでは、まったく別であるのに対して、ブラインドタッチ(あるいはChatとか)と、言語活動を司る脳内部位とは、もしかしたら結構近かったりするんじゃないだろうか。(まったくの憶測ですけど・・・)
まぁ、ショートカットも、ブラインドタッチも、すげーよな、自前の手足みたいでさ、って話です。



最近、車内で本読もうとすると、気付くと視線が行間の渓谷をするりするりと滑り進んでしまい、ページは進んでるのに、頭んなかにぜんっぜん入ってこない。足跡も見えない。そういうことって、あるよね。年か?


カポーティの「夜の樹」という本を探しています。絶版らしいんだ。
誰か貸してください。
カポーティの小説って、「もういややー」ってぐらい精神的にだるい状態で読むと、なめらかに身体に染み渡る。そんで、想像力が加速するんだよ。ビートルズのようです。
(ビートルズが想像力を掻き立てることはないけど。)
「樹の下に誰かが、―なにかがいるわ!」草の竪琴

NADiffで、新国誠一の本をジャケ買い。(ぺらぺら読んだけど)
こういうコンセプチュアルで、けれど、意味性を徹底的に否定したようなものは好きだ。デザインだもんね彼の詩は。ダンス。 湯浅譲二と西村朗の本も購入。


20日、赤坂GRAFFITIでのライヴ。
To the southさんとのタイバン。完成度高し。
服部龍生さんのベース演奏、からだが楽しくなる。素敵。
またぜひ観たいと思うステージは本当に久し振りだ。
少しお話をして、良き薫陶を受ける。


BJORKの「The Dull Flame Of Desire」
Antony Hegartyの声がすごくいい。
http://jp.youtube.com/watch?v=BWV4N-ZcDJg







イナダやワラサがブリの幼魚だったなんて、はじめて知りました。
そういうことって、わりに知らないよね。
イナダもワラサも非常に美味しい魚だと思うけれど、ぼくはブリをあまり好きではない。
明けましておめでとうございます。

年末から体調を崩し、お正月は一歩も外へ出ることもなく寝込んでいました。布団のなかでツルゲーネフの「はつ恋」と手嶋龍一のウルトラダラーを交互に読んでみる。治らない。
「海を飛ぶ夢」を観たりする。
四日目を過ぎて、やっと快復し、ぼちぼちと家族や友人に新年のご挨拶をする。
ひどく遅れて初詣にも行った。
ぼくはひどく出不精、というか、余分な外出に時間を割くのが嫌いなのだけれど、季節モノの行事は大好きなので、雑踏にもまれようが、貴重な一日が潰れようが、一年に一度のイベントごとは、多いに堪能させていただく。人日の七草粥も好きだし、Thanksgiving Dayのターキーも好きである。両日とも何に感謝する日なのか知らないので、蒙昧な信仰ではあるけれど。

ただ、季節モノのイベントに意味性やイデオロギーを勘定に入れて是非を判断することもないんじゃないの、とぼくは思う。
もっぱら日本ってゆるい国だし。
クリスマスには華やかなイルミネーションの下を闊歩して、プレゼントを交換し、お正月はお雑煮を食べて賀詞を述べ、凧を引っ張りまわして バレンタインにはチョコレートを食いまくればいいのである。年間を通して宗教的理念がなく、かつ思想的にかなりアバウトな(というか無思想マインドな)この国は非常に住みやすいし、何より愉快じゃないですか。

文化的にも、宗教的にも、ここまでフレキシブルな国って、そうはないよ。とくに日本人のダイナミックな言語感覚は本当に凄まじい。
シュークリームは仏語の「chou シュー(キャベツの意)」と英語の「cream クリーム」の造語だし、プチトマトとか、パンチラとか、ドタキャンとか、満タンとか、フリーターとか、驚愕の言語的創作だと思いませんか。日本すごい。

というわけで、12月から1月にかけて、世間は行事盛りシーズンであるので、わりとうきうきして外出するのである。
セールもあるしね。

今年もよろしく。

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1月7日は新宿LOFTにてライヴがありました。

以下一月のスケジュール。

2009.1.13 / 下北沢440

奥村大, ガタリ, GONDA(GRIiP), ソルバルウズ
Open / 18:30
Start / 19:00
前売り / 2000yen
当日 / 2500yen (1order別)


2009.1.20 / 赤坂GRAFFITI

ガタリ, to the south, 服部龍生
Open / 19:00
Start / 19:30
前売り / 2000yen
当日 / 2300yen (1order別)


2009.1.27 / 新宿モーション

Wood Solid Dance Jam, ガタリ, 国吉亜耶子and西川真吾Duo, Radi
Open / 19:00
Start / 19:30
前売り / 2000yen
当日 / 2300yen (1order別)