今作、Nebular for thirteenについて書こうと思います。
あたりまえのことだけれど、音楽についての説明を書くというのは酷く情けないことだ。
言いたいことは全部作品に書き込んであるはずだし、余人にわからないと言われれば、わからないのだということを甘受しなければならない。
ぼくだったら作者の言い訳なんてききたくないし、だいたい聴き手の耳に一度入った音の粒をとりだして、あれこれサジェッションする行為がはたして正しいのか、ぼくにはよくわからない。
聴いた人が、聴いた人の記憶とリンクしてハッピーになるのであれば、それが一番良いに決まっているから。
「こんなこと書いて・・・」と、いささか含羞もあってテキストを書くので、「この音楽はこう解釈して欲しい」などというつもりは当然ないし、「これを読めばアルバムが二倍おもしろくなる!」ようなこともたぶんないと思います。
以下に残す創作意図のようなものは、単なる自身の備忘録であり、次のパラダイムへシフトするための整理整頓のようなものです。だらだらと同じことを書き連ね、身体と脳みそを倦ませることでしか、旧態依然からの脱却は成就しない。現在のぼくの頭に巣食っている確信に満ちた考え方や、心に深く繋縛されたトピックの墓場となればつきづきしいのだけれど。
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「リアリティー」と「コラージュ」というのが今回のアルバムのテーマです。
タイトルは、Nebular for thirteen "13歳の星雲"という意味。
Nebular for thirteenにするか、Nebular to thirteenにするか迷ったけれど、
「13歳の子供が目にした満天の夜空」のような印象、含意のある「13歳のための星雲」Nebular for thirteenにしました。
世界をみつめる子供の視線は批評的です。
星が瞬くことも、夜が訪れることも、樹木が動かないことさえ、彼らにとって当然の出来事ではない。
彼らの鋭利な眼差しの先に広がる手付かずの大地では、"星の背後に配線コードがあるかもしれない"(Linus)。
"夕陽が、空を吊るす糸を焼き尽くして"はじめて夜が訪れるのかもしれない(流木のために)。
既知の星座などというものは存在しない。あたりまえの地平から遠く離れ、何もない空におもいおもいの形を描いてゆく行為が、どれほど鋭いリアリティーになるか。
ぼくら大人が持つ主観、あるいは自明である事柄を頭の中から出来る限り取り除いたときに、世界はどのような色形をしているのか。
その風景に目を凝らし、そっと耳を澄ませることでしか想像力の涵養は成し得ないし、そうやってぼくらは少しずつ世界を解体し、音の強度を高めてゆく。
そんなふうに音楽が作れたらいいなと思って曲を作っているけれど、なにせぼくはもう大人で、既知を未知に塗り替えることはできません。だから、すでに知っていることを知らないふりをして作曲しました。知っていることを親密な口調で発音する。知っていることを知らないものに変えるアクロバティックな作業です。たぶんそれが「コラージュ」の基幹だから。(Linus)
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ぼくらが作る曲、それはぼくらが倣った楽典ルールであり、ぼくらが盗んだ音階であり、ぼくらが記憶したメロディーの一部であり、さっき広げたページです。頭のなかに染み込んだ「他人」の意匠を切り貼りして、おおきな地図を作っていく行為は、実に風通しが良いし、サンプリング行為それ自体、非常に優雅だと思う。創造は無数の剽窃で成り立っていることに自覚的であること。使い古された方法で新しい地図を開くこと。手垢のついた様々なファクターを拾い集め、現代の音楽を作りたかった。新しくて古くてすでにそこにあるものを見つけたかった。
時間の雨風に耐えうる音楽というのは、きっとそういうものです。
もし、新しい郷愁感というものがあるとしたら、それがぼくらの目指したものだと思っています。
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このアルバムの誕生にかかわったすべての方と、アルバム完成を楽しみに待ち続けてくれたみなさんに、
心からお礼申し上げます。みなさんありがとう!!
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さて、すべて忘れて次へ行こう。














