ngatari ガタリ
Art Work by Hana Akiyama
This site is developed by monobook
© ngatari

COLUMN




公演によせて。

前未来形という文法がある。未来のある時点において既に完了した行為を語る時制であるけれど、良いダンスは、動作一つ一つがそのような「物語の成就」を目指しているように見える。
野球の打者がボールの軌道を予測するように、ぼくらもダンサー自身もこぞって、そこに身体が在ってほしいと希求する。すると、身体がそこに行き着く前に、緘黙の空間に美しい軌跡が響く。ダンスとは身体を動かす技術でもなければ、形式に凝縮された優美な表現でもない。
身体の底に残っている密やかな記憶、それらのざわめきに耳を澄まして、未来に静かに歩み寄る技術がダンスである。それは自らにふさわしい着地点を目指す、自明の物語だと思う。
川が無反省に大海を目指すように、ぼくらは自在に、ただ従う。涼やかな竝木のように。

来ていただいた方、スタッフの方、感謝します。







ぐっすり眠る。
お昼、ライブのお客さんに頂いた、「手のべ半生うどん」というのをこそこそと茹でて食べる。美味い。うどんと赤ワインって合うよね、ほんと。


円盤でのイベント「ウィリ山ウンテン」に参加させて頂きました。
Suara Sanaのヴォイス・パフォーマーである徳久ウィリアムさんに誘っていただいた。

Suara Sanaはガムラン、口琴、ホーメイ、ガタムなどの奏者で編成されたバンド。近年、ガムランや民族音楽とカテゴライズされる音楽ユニットは辟易するほど流行っているけれどそのような人々とは一線を画すグループだった。

彼らの音楽を聴いて、ぼくはソシュールの「ラング」という言葉を思い出した。
(「ラング/ランガージュぐらい知ってるわ、バカにすんな」という方は読み飛ばしてください。)
「ラング」とは、言葉によって、本来『切れ目』の入っていない世界に『切れ目』を入れて、その切り分け方を共同体のなかで共有してゆく言語活動のこと、要するにぼくらにとっての「日本語」である。
ソシュールは、「思考回路というのは、星雲のようなものだ。」と言った。事物の名前というのは、人間の恣意的な『切り分け』によって決定され、その後はじめてそれらは人間の目に見える形で姿を現し認識に至るという。そんなことあるわけないと思うでしょ?でもそうなんですよ。(ソシュール曰く。)
たとえば、仏語では、「papillon」は「蝶」と「蛾」の両方を含む概念であるけれど、日本語は違う。「蝶」といえば美しく舞う艶やかな昆虫を指すが、「蛾」を美しいと定義する人は日本語話者のなかにはあまりいない。要するに、フランス語話者にとって、「蛾」という生物は存在しないということになる。同じように英語の「Tree」と「Wood」を合わせて、日本語にとっての「樹」であるし、日本語の「肩が凝る」という言葉は英語には翻訳不可能である。英語話者にとって「Treeで作られた建築物」という言い回しは"できない"し、彼らはいくら重労働をしても「肩が凝ら」ない。(不思議だなぁ。)また客観的対象と思われがちな「虹」ですら、日本語では七色と認識されるのに対し、英語では六色と数えられ、南アフリカのある地域の言語のなかには、二色として定義されている例もある。彼(ソシュール)は言語というものが、人々が満天の星空をみて、見る人それぞれが夜空に切れ目を入れて星々を繋ぎ、「くっきりと」そこに星座を見出すことと同じだと考えた。

(ソシュールに興味ある人は「ソシュールと言語学」町田健著などを読んでみてください。)

ただし、音には名前をつけることができない。音楽の優れたところは、(というか国境がナイと言われる所以は)そこにある。ドレミは名前だろと反論されるかもしれないけれど、それは、ソシュールの言うところの共同体や民族によって定着した「切り分け」なわけよ。(虹の例と同じ。)たとえば、"ド"に限りなく近い"シ"とか、噪音(倍音)には名前がない。インドのラーガに絶対音高はないし、鳥のさえずりは12音階では捉えることはできない。(アラブ音楽の音階?であるマカームは1/4音を定義したりするらしいが。)名前がつかないということは、言語圏によって限定された概念そのものがないということだ。世界的信認を獲得できる音楽というのは名前がつくことがない。誰もがそこにあると知っているけれど、すくいとって見せられるまでその存在に気付かない音たち。そのような音を操ることのできる音楽家だけが、世界のどこからでも仰望できる(言語や民族を超えた)星座を描くのだと思う。(ということは、音の認識の場合、『音⇒命名』ということになりますよね。)

話がそれました。

Suara sanaは凄い。
彼らは手を使い、あるいは喉を振動させて世界中で無数に漂っている音たちに『切れ目』を入れていくように音楽を奏でる。次々と生み出される音の洪水は、夜空に独創的な風景を描いていたし、また美しい物語であった。それは誤字も脱字も存在する生まれたばかりの言語である。彼らの音楽が楽しくて、鋭利でまた、誰にでもその美しさが体感できるのは、聴き手にも奏者にとってもそれが手垢のついていない、できたてほやほやの音楽(星座)だからだと思う。生まれたばかりの音楽(インプロビゼーションという意味ではなくて)というのは、聴き手のものである。聴き手ひとりひとりがそこに物語を感じて、唱和できる音楽というのは、おそらくその音が聴き手にとって唯一無二のオリジナルだからだ。Suara Sanaは、奏者と聴き手だけに共有される親密な音楽(星座)を作り出すことのできる素晴らしいな音楽集団だった。
(レビューみたくなってるが…。)

といっても、誰もがそのような芸当を持てるわけではない。
「内からふつふつ沸くインスピレーションを表現する手段」という言い方で音楽を捉える人がよくいるが、これは大きな誤りである。音は人間の中に存在しないんだから。自分の持つ「音」を表現するのではなく、世界に散在する音たちに次々と『切れ目』をいれ、形作ることが、予測不能で素敵な音楽を産むのである。とりあえず道端に散らかっている音粒で表現しちゃうのが真のアーティストであり、イライラしながら自分の中の良い音を探そうとして、「こんなダサい音で良い音楽なんてできねーよ!!」と逆ギレするのが、凡庸な音楽家(ぼくとか)である。残念ながらそのような力業では良い音楽は作れない。(と知っていてもキレ続けているけど。)
また「とりあえず道端に散らかっている音粒で表現しちゃう」能力というのは、「世界中で無数に漂っている音を選び取る」という技術に裏打ちされている。「とりあえず道端に散らかっている音粒で表現しちゃう」人というのは、人知れずトレーニングを繰り返し、鍛錬を積んだ(よーするに練習に励んだ)人にのみできる奇跡的なパフォーマンスなのかもしれない。

というようなことをぶつぶつ考えながら、円盤に出張していたコジョウさんの美味しいカレーを食べた。
同じようなことを考えていたのか、ライブハウスを出たあと即座に、我らがボーカリスト・Jessicaがぼくにこう言った。「もっと練習してください。飽くなき反復のなかにだけある、ふと浮かび上がる奇跡的な音って、あるんだよ。」

とっても楽しいイベントでした。
ウイリアムさん、Suara sanaの皆様ありがとうございました!
http://suarasana.com
http://william.air-nifty.com


引越のため、ピアノ運送屋さんにピアノ運搬のための見積もりをお願いする。引越自体にかかる経費をはるかに越えた金額であった。じゃぁ、もう自分でひきずっていくよ。


タキタニ、帰宅すると安心したのか、爆睡。


次回は瀟洒なホテル、CLASKAでのライブ。
楽しみです。
http://www.claska.com
http://www.claska.com/blog/2008/07/725fri_ngatari.html






最近、外国旅行記をぺらぺら読んでいて、酷く外国に行きたくなってしまった。
(字面から想起される外国の風景は、ぼくの場合、なぜかいつもきまってスーパーマーケットなんです。なぜでしょうか。)
でも、とくにそんなエッセイを読まなくても定期的に外国逃避願望がふつふつと沸く。
外国に住むということのメリットは、言葉が通じないことだ。
メリットというと、いささか語弊があるけれど、自分にとって自明的ではない言葉に囲まれて
絶対的なコミュニケーション不全に陥るがゆえに獲得できる欠落感や否応なく気付かされる人間の先天的に持った"病態"というものがあるからだ。(獲得できる欠落感、なんだそれ)


たとえば、外国人と膝を交えて話をしているときに、どうしても自分の考えや意図が通じないという場面は多分にしてある。そんなときは悲しいし、無力感を感じずにはいられない。
けれども考えてみれば、日本人同士だって言葉が通じないことは多々あるじゃねーか。と思う。
会話の成就は、ボキャブラリーや知識の多寡にだって因るし、世代が違えば、環境が違えば、性別が違えば、分かり合えるどころか、まったく気持ちが通じないことさえ、ざらにあるのだ。
仲間内で一人だけ話についていけずに、置いてきぼりを食うこと、"ローカルネタ"や"KY(空気読めない?)"という状態にだってコミュニケーションの不全は見られるのだから。


そもそも、ぼくらはいったいどれだけの人とシンパシーを感じ、あるいは気持ちの伝達を達成できているのか。ぼくらは無意識下で、気持ちを十全に伝え合うことなどそう簡単にできるものではないということにおいて"のみ"黙諾を完了させているがゆえに、「いいよ俺、その意見で。同意っス。」という付和雷同状態に陥るのである。
インサイダーに帰属しているというのは、まぁ、たぶんそういうことなんだろう。
ようするに、対話において、コミュニケーション不全は、意識したり自覚したりすることが困難なだけで、もともと内包しているものである。それが日本にいる限り、表面化されることはないだけなのだ。
そのようなコミュニケーションへの苛立ちは、外国にいると、希薄になる。「言葉にすればいいじゃん」的、自明性がさっぱりと払拭されて、自分の思考が涼やかに透明性を増す。
言語外にある音楽的なもの、あるいは言葉の風景が見えてきたりする。
コミュニケーション不全がもたらす弊害はいくつもあるけれど、(センソーとか、性差とか)
コミュニケーション不全が奏功して描くミニマルな世界は、とても素敵だと思う。
(だからぼくは外国に行く代わりに愛猫との対話で、会話能力の涵養を図っているわけです。)


語学学校の中庭にある石のベンチに寝転んで、フランスの太陽(そんなものがあるんだよ本当に。)
を浴びながら、授業の終了ベルを聴いていた時間、
夜、街の灯りも届かない丘に登って、空を見上げ無数の星を見上げた時間、
(信じられないだろうけれど、夜空の青い表面積より星のほうが多いのだ。)
そこには、語学学校に響き渡る動詞の活用も、眼下の雑踏も消えて、
地続きの、いや空続きの世界があった。(Imagine there's no countries~♪)


ぼくの老師は、はじめの授業で、「太陽の曲を書いてこい。」と言った。
翌日に半ば徹夜で書いた譜面を持って行くと、「これはイタリアの太陽ではないな。」と言って、
何時間もかけて書いた音符たちを消しゴムで綺麗さっぱり消して(油性ボールペンで書けばよかった・・・)「イタリアの太陽は・・・」と呟きながら、五線譜の上に輝く太陽を昇らせた。
当時、ぼくは「十人十色、人それぞれの太陽があったっていいじゃねーか。なんだその決め付けは。」と思ったものだった。けれど、彼が言いたかったのはそのような限定された思考ではなく、
世界が共鳴する色彩であり、言語外のイデアだったのだと思う。
老師との会話は極端に少なかったけれど、レッスンの間中、
淀みない言葉のやりとりが宙に浮かんでは消えた。(ゆえにぼくのイタリア語はザルなんですね。)


二年後にシチリアのエガディー諸島を自転車でちりんちりんと周遊したときに、ぼくは初めてイタリアの太陽を発見した。あの牧歌的な旅は素敵だった。
ハッピー。でもある種の哀しみを抱えた生活。


新しい曲を作らなければならない。
どうも近年、作りたい曲と、作った曲との間に、乖離がある。
あたりまえといえばあたりまえで、至極当然なことなのだけれど、その溝が昔よりも深い気がする。
頭の中のイメージを鍵盤で叩く、あるいは採譜して具現化する過程で、
当初持っていた輝きは、失われてゆく。
この乖離については、いろいろな人が同じ文脈で書いているけれど、
作品が少しずつ姿を現すたびに、「あれ、おかしいな。こんなもの作るつもりだっけ・・・」という違和感は誰もが感じることなんだと思う。
自分の発語した言葉が、往々にして本心から少し離れた場所に軌跡を描くときのように。
あるいは、眠りから覚めて目を開けると、今見ていた夢の筋書きがまたたく間に消えてゆくときの喪失感とも似ている。


歌っていない歌が響いて、語ろうとしていない言葉が語られること、
それらが唯一、世界に彩りを与える瞬間なのだと思う。






ライヴが続きます。

ステージでは、程度の差こそあれ、様々な理由でパフォーマンスが変化する。室内の空調や、楽器の質、ライヴの時間帯などが起因して、身体は開放され、また抑制される。(先日のライヴの鍵盤は、決して良質とは言えないものだった。)

多くの人は、仕事の現場やステージで「自分を最大限に生かせる場」を要求するけれど、それはたぶん、彼らが思う「理想的な好環境」ではない。人が持っている能力以上のものを絞り出しているとき、彼らはどこかで規制されているはずである。「こんな環境で、こんな条件だけど、まぁ頑張ってね。」と言われたときに初めて、知性はアクティブになるし、「仕方ないな…」と思いつつも、身体の底のほうに残っている才知を駆使して、今までに抽出していなかった能力を発揮するのである。

ぼくのような凡庸な音楽家はとくに、条件付けされたときのほうが、自由気ままなときよりも上手に立ち回ることができる。 縛られているほうが円滑洒脱の身よりも想像力は涼やかに起動している。ということに最近気付いた。(そんなこともわからないようだから、いつまでたっても凡庸なんだよ。)
作曲においても同じである。はじめに「4分の3拍子で、C-durで始まって、A-mollで終わる32小節の曲を作りなさい」と言われたほうが、「なんでもいいから明るい曲つくって」と言われるよりもはるかに「自由自在」なのである。
考えてみたらあたりまえだよな。
天井のある室内では、おもいきりジャンプできるけれど、空に向って全力で飛び上がるのは、何か心もとないし、高く跳べた気がしないもの。

そんなわけで、先日のライヴは大成功であった。
歌は軽やかに弾み、鍵盤と打楽器には、深遠なコレスポンダンスが生まれた。(ただし、PAの方が優秀であることが前提である。ありがたや。) このくだり、何が言いたいのかといえば、「ステージが俺ら的じゃないね。ぷい。」というような稚拙な言い訳は通用しないということである。



最近個性について思うところがあったので、少し。
簡単にいってしまうと、個性的であろうとする振る舞いが自分の首を絞めているということです。(というかぼく自身、そうであった。)「人と違う」ことへの希求は、秩序からの脱却を通して成しうるものではない。真逆である。先述したように個性というものは条件を課したときに、より顕著になる。(たぶん。) というより、目を凝らさなければ見分けのつかないような条件下では、個性は何もしなくても際立つものだ。

ブティック街を歩けばよくわかる。 人との差異化を図ろうと、ブランド品に身を包んだ女の子たちは、 ごく自然に、「わたしはあなたと違うのよ」的グループに"カテゴライズ"されている。真に個性的な女の子は、「人と差異をつける」ために洋服なりバッグなりを選ばない。真に個性的ではない女の子が、「差別化(あるいは個性化)を図ろうと」して、想像力を磨耗しているのである。
彼女たちはマイノリティーとしての主張を掲げているのではなく、(もちろん個性的でありたいと盲信しつつ)「マイノリティーではない人々(要するにヴィトンのバッグを持てない人々)がいること」を強く望んでいるのである。なんと後ろ向きな祈りであろうか。

個性的でありたいという"祈り"は、「どうあっても個性的になれない人」がいて、はじめて成就する願望である。「どうあっても個性的になれない人」など、そもそも生物学的にありえないから、個性的という神話は不毛である。 個性への偏執というのは、たとえば成功を求める人が、無意識下で、「どんな努力をしても結実せず、どんな訓練も報われない人が出来るだけ多くいてくれ!」と切望することに似ている。
また、知への追求を惜しまず「馬鹿」を睥睨する姿勢が、実は「馬鹿」の存在価値を認め、彼らを含めたヒエラルキーを財貨のごとく死守しようとしていることと同型である。 個性的であろうする"祈り"というのは、自分以外の人々を常に意識して観察し、彼らの身振りをチェックして、研究することに他ならないのである。

また、著作権というのも同じ思想だ。
"個性が自分の内から滲み出たものだと信じて止まない人々"が往々にして個性性を主張し、コピーライトを死守しようとするのである。 「これは俺にしかできない。俺と同じことをするやつは徹底的に排除する。」

個性とは人の色などではない。並べられた多種多様な色鉛筆から、 いざという時に(ある条件下で)その場に適合した色鉛筆を選びとる能力を個性と呼ぶのである。ヽ(^。^)ノ


というようなことを自分に言いたい。一年ほど前に、ぼくが友人に個性性の重要性を説いたとき、「今まではそうだけどね、21世紀は身体の時代になると思う。」と言われた。当時、ぼくはその意味することがうまく掴めなかった。そして一年経ち、ようやく「身体」の個性性に気付いた。 そうなんです。人との比較が個性ではなく、というか人は生まれながらに個性的な身体を持っているわけで、改めて個性を主張することもないわけなんですね。個性的でありたいと思うのであれば、自分の身体をくまなく点検すれば良いわけです。 その運用方法に、個性が隠されているのです。
おしまい。

この暴論コラム?は、某内田氏(またかよ)のブログのテキストからインスパイアされたものです。最後までドライブ感のあるテキストなので興味があれば読んでみてください。

http://blog.tatsuru.com/2008/01/19_0927.php






寒くなってきました。
先日庭で焚き火をして、焼き芋をつくった。
落ち葉を集めて、煉瓦やらブロックやらを組んでプチかまどを拵えた。
うーむ、火遊びはやっぱり楽しいなー。

小学校のころ、よくキャンプに行った。
石を積んで川を塞き止めたり、岩壁を掘って横穴を空けたりして、友人と日が暮れるまで遊んだ。
当時のぼくらが川の水を塞き止めることにどんなおかしみを見出していたのか見当もつかないけれど、でも、そのときのぼくらのアタマの中には、「コレつくらなあかん」という一種の強迫観念があったような気もする。本能的遊戯というか、神経症患者というか。
でも、火をおこしたり、水路をつくったり、雨風から(あるいは来る敵襲から)身を守ったりすることは人間が本有的に持つ性質だからか飽きることもなかったし、またルーティーンワークのような"業務"でもないわけで、とても楽しかった。

子供たちは『十五少年漂流記』とか『ロビンソン・クルーソー』など、
「順風満帆なシティー生活が一変して、原始的生活を強いられ、それでもうまく生きていく」的冒険物語に憧れる。(ぼくは今でもひそかに憧れている。)
とはいえ、まともな大人は手作りのダムを偏愛したり、無人島で木片をかき集めて仮設基地を作ったりはしない。
(たまに公園にそういう大人がいる。彼らは思い思いの焚き木を集めて上手に暖をとっている。)

職業的大工は仏頂面でいつも鉋をかけているし、
釣り人たちは浮きが持ってくるであろう凶報の通達をじっと待っている。(ように見える)
日銭のために焼き芋を作るとなったら、苦役に違いない。
(結果、街角を漂浪する石焼きイモ屋は、おそろしいほどに値段を釣りあげる。事実焼きイモは高い。あまりに高い。)

そういえば、遠浅の海辺で不法漁をして捕まった人が「アワビを孫に食べさせたかった」と言っているのをテレビで見た。
メディアリテラシーのないぼくなんかは、至極まともな行動理由とモチベーションだと思うのだけど、海域はそれを許してくれないらしい。いいじゃねーかアワビぐらい。そもそも海域ってなんだ?

はぁ、話が二転三転してしまった。とにかく晩秋の夕暮れに食べる焼きイモは格別です。

夕食はタコ(タコがひどく安かった。朝鮮産か?)と茄子ときのこの煮付け、アスパラと豆腐とモヤシのサラダ、あと韓国人の友人から頂いたキムチや海苔なんかを食べる。
夕食後、遅れまくっている新作音源のアレンジに励む。こそこそとキーボードを叩き、採譜する。
音楽は焚き火やダム作りのようだと思う。じょうずに組み立てれば燃え上がって、整合性を極めれば水面は静謐を宿す。

橋本治と、養老孟司と甲野善紀の共著「自分の頭と身体で考える」を交互に読みつつ、デュック・エリントンを聴きながら眠る。


もう二ヶ月も過ぎていた。アンリ・カルティエ・ブレッソン展行けず。
フィリップ・ジャンティ・カンパニーの公演にも誘われたけれど、行かず。そういえば、スパンアートの上田風子展も行かなかった。友人のダンス公演は三つとも行けなかったし、ライブも行けなかった。
宇野亜喜良・和田誠展は行った。けれど、オープニングだったのですぐ帰宅。弟のブログで見つけたトーマス・デマンド展は行こう。(明後日まで。無理だな。)

このように私達は年をとっていくのです。気をつけましょう。






ぼくはコピーライトが嫌いだ。

著作権という主張は、その知的財産において、それが作者のオリジナル(ゼロからの創造)である、という前提を確保しなければ成立しない。でも、作者のオリジナルという前提自体、きわめて危ういものだ。生まれてから一度も音楽を聴かず、楽器の調律にも従わず、感受性を硬く閉じ、かつすべての数理的な秩序から自由である音楽家はいない。(もしかしたらいるかもしれないけれど、彼の音楽を聴いてシンパシーを感じる人はあまりいないと思う。)

作者は先人たちの意志を紡ぐ。限定的な秩序の檻で楽器を奏でる。深く意識に染込んだ誰かの言葉を歌う。そうやって様々なファクターをかき集めて作品を作る。
もちろん意思踏襲は創造行為と言えるし、歴史のそのような"パクり"と僅かな変容が知的文化を支えていることは確かだ。しかし、もっとも重要なのは、彼らが(作者が)「誰かの声を享受している」ことに自覚的であることだとぼくは思う。

たぶん、自分の創作行為の根本を吟味せず、「剽窃」の可能性に一寸の疑いも持たない人々が、「俺はどこにもコミットしていない。」といって、コピーライトの死守を主張するのだろう。

以下引用

―自分が何を言いたいのかを知るためには「他人にも通じることば」を語らねばならない。 それが「語法の檻」ということである。そして、「他人にも通じることば」というのは、その定義からして、「誰かがすでに言ったことば」「その意味がすでに知られていることば」を 組み合わせることでしか作り出せないのである。

その「檻」の中で私たちができるほとんど唯一の創造的なことは、自分が何か斬新なことばを語っているつもりのときにすりきれた常套句を繰り返しているという「病識」を持つこと、その徴候を吟味することで「私たちを閉じ込めているこの檻の構造と機能」について主題的に考究することである。

引用終わり

これは内田樹氏のテクストだけれど、内田樹氏自身、「千賢の教えに従って、その教えを繰り返す。」「これはラカンの受け売り」と書いている。

自分の語っている言葉が、外部からの受け売りであり、手垢のついた他人の言葉であるという事実は確かに(自分が創造者だと盲信している人にはとくに)少々パセティックではあるけれど。






内田樹氏の著書「寝ながら学べる構造主義」に、リナックスOSについて言及されている一節があります。リナスとはリナックスOSを開発したプログラマー、リーナス・トーバルズ氏の愛称です。

以下引用

―しかし重要なのは、このOSを発明したリナスさんは、これで天文学的な利益を手に入れることができたのに、それをせずにインターネットに載せて、無料で公開してしまった、ということです。
すぐれたOSが無数の人々の協力によって進歩することのほうが自分一人が大富豪になることよりずっと大事なことだ、とリナスさんは考えたのです。
(中略)
彼が求めたのものは近代的なコピーライトによって「作者」が得るものとは別の方向をめざしています。
近代的な作者は自分の作品を一元的に管理することを求めましたが、「リナックス」に代表される「オープンソース」の思想が目指すのはその逆です。(「オープンソース」というのは、世界の成り立ちについて、私たちに何事かを教える可能性のある情報は、無条件かつ全面的にアクセス可能でなければならない、という考え方のことです。)
リナス氏は自分の作品を世界に開放しました。それを改良させ、発展させ、利用する人々が一人一人その作品の意味と価値を見出すことに委ねたのです。もしこれが文学作品であったとしたら、彼はそれを無償で配布し、それをどう享受しようと、どう改作しようと、どう引用しようと、その自由を読者に委ねたことになります。

引用終わり

自分の語っている言葉(あるいは音)が、知らぬうちに誰かの手によって改竄されて、発表されていたらあるいはとても悲しいかもしれません。(たぶん悲しいと思う。)

でも、ぼくらはいつも、誰かの意思を紡いでいる。
ぼくが作る曲、それは、ぼくが修学した楽典ルールであり、ぼくが盗んだひとつの音階であり、ぼくが記憶したメロディーの一部であり、さっき広げた地図だ。それらの要素をペタペタ貼り付けて、(しかもぼくは他人の作りあげたコンピュータープログラムを用いて音を並べている。)形を作り、自分の作品として発信している。

ぼくらは常に何かを借りている。

リーナス・トーバルズ氏が提唱したオープンソースの思想(アイディアの開放と共有)が、インターネット界を超越して、音楽界、文学界に浸透するには、まだまだ年月が必要だろう。でも、とりあえずぼくらはリナスを歌いつづけます。

つづく。






ガタリというユニットを作った。
ぼくが作詞作曲をして、ボーカリストのJessicaが歌うという、
掃いて捨てるほど、どこにでもある、ごくごくフツウのユニットである。

ユニット名のガタリはマオリ語で"揺れる""考えが揺らぐ"という意味を持つ単語"NGATARI"からとった。
日本語の擬音語"がたりっ"と似てませんか?なんとなく。
近しい人からは、「某思想家の某F・ガタリとかぶるからやめなさいよ」と忠告されたけど、
ガタリの模る音もちょっとカワイくて、ぼくらの気に入ってしまったし、他に気の利いた名前は思いつかなかった。
(大きな声では言えないけど、ぼくはフランスの現代思想に興味を持っていて、あるいはきっかけはソレかもしれない。まぁ、興味といっても実のところ意味もわからずに、無批判にアンチ・オイディプスなんかを読む"フリ"してるだけだけど。)

名前に込めた主張なんかをあえて綴るのは、なんだか厭らしいけれど、せっかくなので書き留めておきます。("レタス"とか"生姜湯"とか"ちゃがま"みたいな名前にすればよかったかもしれないな。)

揺れている、与さない、ニュートラルでありたい、というのがガタリの中心的なモットーだと思う。(メンバーはその主張を諒としたんだと思う・・・。)
誤解しないで欲しいのは、ガタリの意図する"揺れ"というのは「俺らは高潔なオリジナルで、どんなモノにも属さない!」ということでは、もちろんない。その逆である。
「昨日確信した、そして現在盲信している確固たる視点は、明日にはがらっと180度変わってしかるべき」という"揺れ"のことです。
それは、ぼくらの歌う音楽も主張も、自然と何処かにコミットしてしまっているという病識を持ち、ぼくらが今どこかに属しているということに、せめて自覚的でありたいという、ややペシミスティックな姿勢だと思う。旧態依然の身体を点検すること。確信に満ちた方法に懐疑的であること。
ぼくらはどこにいるのか。どんな色を帯びているのか。
勇敢でありたい。そして出来ることなら、奏でる歌が偶有的に、またニュートラルにあって欲しい。


「で、ガタリの音楽はどんなんなのよ?」と聞かれると、多くの音楽家がそうであるように、答えに窮してしまう。よくわからない。
誰かの音楽を模倣をしていることは確かなのだけど、いったい誰の作品を剽窃しているのかがわからない。(剽窃といっても差し支えないだろう、ぼくらは常に誰かの意匠を拝借しているんだから。)
ただ言えることは、モーツァルトがいて、ショスタコーヴィッチがいて、ラヴェルがいて、フレディ・マーキュリーがいて、ビートルズがいて、彼らの意思が(願わくば)指先や、記憶に溶けていて、ぼくらが書く、歌う。新しくて古くて、既にそこにあるはずのものを見つける。

キュートな映画を観る、美しい珈琲を淹れる、素敵な女の子と食事をする、風化した絵を観る、スルーパスを出す、ページを開く・・・。
無数の動詞たちと、ささやかな想像力とを上手に切り分けて、ゆるやかな秩序のなか、ピアノを叩き、ドラムを弾く。そうやって、ぼくらは幸せの喚起する場所を目指しているのだと思う。